中庸 ちゅうよう 大事
私なりの 中庸の解釈は〜
この世は二元性 熱い 寒い
暗い 明るい の必ず 二極ある。
その真ん中、プラスでもマイナスでもない。その中庸に自分を置く。
置くように意識する。
中庸、そこに愛があるのではないか。
起こる物事には意味がない。
物事にプラスの意識、またはマイナスの意識を付けているのは自分。
良かった出来事、悪かった出来事と決める。
7年前に私が病氣をして左手首を切断か?なんて事があったけど(切断せずに腫瘍摘出だけで済んだのね)
そんな病氣があったからこそ、
自分の生き方が間違っていたのではないか! という氣付きを得た。
氣付きを得たキッカケはその病氣だから、病氣になって良かった!
良かった事と 私は解釈した。
病氣に感謝した。手首にごめんね。
ありがとう、ここを病氣にしてくれたからこうして生きている。でなかったら、ある日突然死んでいたのかも。って。
その病氣がマイナス?かプラスか?
どちらでも取りようがある。
できれば 中庸で プラスにも行かず
マイナスにも行かない 普段の自分の氣持ちって必要なんだと思うこの頃。
人生には プラスあればマイナスあり。
振り子は左にも右にも同じように振れる。
プラスに振り過ぎたら 今度はマイナスに振り過ぎになる。
人生は振り子だ。
あんまり振り幅がない方が 心の動揺なく 中庸で行くと 自分の人生に本来 来るものは来て 受け取れる人生になるのではないか?😊
上手く例え話ができると 良いのだれど〜😆
こんな私の話が理解できなくても
ゆっくり呼吸して
体を緩めて ほっとしてみる☺️
自分をハグぎゅー💓